芸術とスポーツの役割

千ひろば(戸塚のスタジオ)主催のSさんから教えていただいた展覧会を見に行きました。場所は東京都美術館です。ゴールデンウィーク中とあって、上野公園は、家族連れでとても賑わっていました。

 

展覧会は一般の方の作品を集めたものでした。絵画、写真、書の作品が飾られていました。

 

私の目当ては、Jさんという方の作品です。

 

私はJさんとは会ったことはありません。ただ、事故が原因で車椅子の生活をされていると聞き、どんな作品を作られるのだろうと気になって見に来たのでした。

 

スタッフの方から話を聞くと、思い通りに動かない手を使って作品を作られているそうです。書の作品が数点飾られて言いました。「○」という文字が筆で書かれていました。

 

Jさんのことをよく知っているスタッフの方は、その作品の魅力を、Jさんが背負っている現実と重ね合わせて見ているようで、とても考え深そうに私に話してくれました。

 

私は仕事柄、芸術やデザインは好きで、作品展によく行きます。特に、60~70年代の抽象絵画は好きで、それに影響を与えた書も好きで、作品集を持っています。だから、自分なりの作品評価や判断ができると思っていました。

 

Jさん作品を見たときの私の率直な感想は、「少し子供っぽいなあ」というものでした。しかし、自分のその評価は、周りの方が良いと感じている中で、自分の一体何を表しているのだろうかと、少し考え込んでしまいました。

 

私は、今まで、解釈や知識など予備情報なしに、作品を物として向き合い、純粋に判断するように、自分を訓練してきたところがありました。それが、本質に近づく一番の方法だと思っていました。

 

しかし、それは一人の人間の抱えている現実を無視していることに繋がるのかなと思ったのです。これは、デザインや芸術を仕事し、その自由を手に入れたことで、失ってしまった何かとの繋がりのような気がしてなりません。その何かが、今の私には、まだ少し見えていません。

 

上野公園では、パラリンピック関連のイベントも開催されていました。ボッチャというスポーツが紹介されていました。弾力性のない鈍い皮のボールを投げ、カーリングのように、的の近くに自分のボールをより多く投げ入れる競技のようでした。

 

ある車椅子にのった選手が、難易度の高いとされるテクニックにチャレンジするコーナーがありました。

 

何度となく、チャレンジしましたが、やはり難しいようで、なかなか上手くいかないシーンが続きました。「惜しい」という観客のざわめきの中に私もいつのまにか一緒になっていました。そして、最後に、チャレンジ成功のときには、どこからともなく拍手がわいてくるのでした。私も心の中でガッツポーズをしていました。

 

これは一体何なんだろうと思いました。

 

展覧会のスタッフの方の中に、80歳を超える女性の方がいました。その方は書を長年やられている方でした。その方が、初めて会う私に「作品に、自分の生き様を残したい」と話してくれました。少し大袈裟ですが、その声に人間の尊厳を伝えようとする姿が、私には見えました。

 

芸術とスポーツというツールが、人間の生の充実に果たす役割の大きさを考える一日になりました。