私は建築家I先生の読者である。I先生の本の中に書かれている教えやメッセージを、日本の建築業界で生きる上での羅針盤にしてきた。
セルフビルド、
秋葉原感覚、
開放技術系、
人間が作る自然、
興味関心とその時代の変化に合わせ、ご自身の設計のコンセプトを世に発信し続けていた。「工務店機能を兼ね備えた設計事務所」という今の私の業態も、I先生のコンセプトである。
I先生は90年代後半から、「小住宅の設計は、設計者が多能工となり、現場管理をしながら作るのが良い」と言い始めた。大学教授だったI先生は、自分の現場に学生を送り込み、掘削や搬入など素人でも出来る作業を、学生にやらせ、設計教育の一環として取り入れていた。その様子が雑誌「住宅建築」に掲載されていた。
当時私は、型枠大工をやっていた。大学の設計教育を何年受けても、自分で建物を作れるようにならないと分かり、学校の外でアクティブラーニングを始めたようなものだった。「出来ないが知っている」知識、又はその逆の「知らないけど出来る」知識って何だろう、と自問自答していた。教育機関では、知っていることしか評価されない。教える側の都合だろうと思っていた。I先生の記事を見ながら、共感できるものがあった。
HONDAの創業者・本田宗一郎も似たような話をしていた。「何でも作れるこの手を学校の先生は評価してくれない。知ってるだけなんです。そんなことで、子供たちを評価してはかわいそうだ」
この出来ないけど知っているある意味優秀な設計者たちが何を生み出しているかというと、工事現場をロボット化し、現場にクライアントを近づかせない傾向を生み出している、という見たてを、私はしている。安全性、作業性、品質管理上などを理由にすれば、クライアントは何も言えない。その結果、今の建設現場には、生活や家庭の雰囲気がない。住宅の現場に来ている職人たちは、地元に住んでいる一般市民であることを忘れていないだろうか。仕事と生活が連続しているのが、住宅建設の現場なのだ。
以前、I先生にお会いした時、「ネパールは良いぞ、そのうち、日本を追い越してしまうぜ」と仕事で出かけたネパールの様子を話してくれた。私は、「I先生はそう思っているのか」と受け止めるだけであった。
ある時、SNSでネパールの工事現場の様子を映した動画を見ることがあった。そこには、母親と子供が、網を使い、左官に使う土から、不純物である石を取り除く作業をしている様子が映し出されていた。まるで縄跳びで遊んでいるかのようなのどかな光景であった。安全対策が不十分な建設現場に、普段着で、女性と子供が生活のために、働いている貧しい光景という見方もできる。しかし、そんな風に見えなかった。私には、本来あるべき光景であると、心のどこかで思っているからであろう。
高度なマーケティング情報で購買行動がコントロールされている現代社会においは、考えている事、求めている感情ですら、他人が設計したレールの中の出来事であったりする。それに気がつくには、大きなアクシデントが必要である。住まい作りにセルフビルドを積極的に取り入れているのは、クライアントにとって、安全に楽しめる小さなアクシデントのようなものになると思っているからである。